2011年4月30日土曜日

鈴木桂治、涙の日本一!4年ぶり歴代単独3位の4度目V 男子柔道

鈴木桂治選手の優勝、久しぶりですね。
当時の切れはたくなりましたが試合の読みとか感覚が
鋭くなったのでしょうか・・・。

柔道全日本選手権 (4月29日  日本武道館)
04年アテネ五輪金メダリストのベテラン鈴木桂治が
決勝で穴井隆将に大外返しで一本勝ちし、
4年ぶり4度目の優勝を飾った。
優勝回数は歴代単独3位、優勝ブランクは史上最長タイ。
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/04/30/gazo/G20110430000728640.html

大会終了後の全日本柔道連盟の強化委員会で、
世界選手権(8月、パリ)100キロ超級代表には鈴木と上川大樹が選ばれた。

何度もスタンドに突き上げて見せた鈴木の手が、
5分もしないうちに目頭を押さえる手に変わった。
五輪より難しい、といわれる全日本王座への復帰。

「今年に入って何十回も夢で見た。五輪とかじゃなくて、
全日本を獲る夢だった。本当に夢みたい」。
勝って初めて泣いた30歳の顔に、雌伏の時を超えた凄みがにじんでいた。

2年前には一本負けした穴井との決勝。
「一試合ずつ、という思いだったから、研究は1秒もしていなかった」
と言うが、相手の大外刈りを誘い出し、場外際で返しての一本勝ち。

「自分で技を掛けたわけじゃないから」と反省が口をついたが、
全日本男子の篠原信一監督は「返せるのは、技に切れ味が戻ってきた証拠」
と評した。

「引退する勇気がなくて」続けた現役生活は、年齢との戦いにもなった。
鋭い技が消え、組み負ければ諦める試合もあった。
王者として推薦されてきた今大会も、昨年からは予選出場が必要になった。
砕かれたプライド。だが、柔道は捨てなかった。

かつては、相手の研究も必要なかった。だが今は組み合わせが気になる。
試合中には「負けたら試合がなくなって、楽になれるかな」と
弱気も出るという。だが、その弱い自分と向き合いながらつかんだ夢。

「全日本王者は世界で負けるわけにはいかない。絶対に、勝ちます」。
最後に表情をキュッと引き締めた男の夢には、まだ続きがある。

切れ味の代わりに手にした武器は、我慢と執念だった。。。

まだまだやれます。
いや、やってもらわないとね!

小塚崇彦、SP6位から“完璧”大逆転で初の銀メダル! 男子フィギュアスケート

演技を終えた小塚くんの気迫のガッツポーズでしたね。
素人目にも滑らかで力強く感じました。
次はてっぺんしかないですね。。。

フィギュアスケート世界選手権第4日は4月28日、
ロシア・モスクワで行われ、
男子ショートプログラム(SP)で6位と出遅れた小塚崇彦が
フリーで4回転ジャンプを決めるなど好演技を見せ
合計258・41点で銀メダルを獲得した。

ゆっくり両腕を突き上げた。演技を終えた小塚は
歓声を浴びて満足感に浸った。
「うれしいです。今はもうこれ以上のことはできない」。
完璧な演技の後に待っていたのは初の銀メダルだった。

冒頭の4回転ジャンプを決めて勢いに乗ると7つのジャンプを全て成功。
フリーの180・79点は自己ベストを10点以上更新する
世界歴代2位の高得点。技術点ではチャンを上回った。

東日本大震災の影響で開催の見通しが二転三転し心が揺れた。
そんな時、佐藤信夫コーチが休養を命じた。小塚は旅に出た。
高知県の坂本龍馬ゆかりの地など四国、中国を車で回った。
つかの間の休息で英気を養った。

フリーで滑るリストの「ピアノ協奏曲第1番」は祖父・光彦さんが
元五輪代表の父・嗣彦さんの現役時代に薦めた曲。
当時はピアノ曲で滑る選手が珍しく使うことなく引退。

約40年の時を経て祖父から受け継がれた曲でフィギュア一家の
サラブレッドが輝きを放ったその目は、

高橋大輔に続く日本男子2人目の世界一を見据えていた。

2011年4月24日日曜日

楽天連敗にサヨナラ 仙さんヨッシャー!

今の楽天にピッタリの動画かな?!
ゆず・・・Hey和(Live ver.)
ページの最後に添付しました。
・・・・・・

連敗脱出!
神戸の空に、星野監督の「ヨッシャー!」
という雄たけびが響きわたった。
http://www.sanspo.com/baseball/photos/110424/bsh1104240506001-p2.htm

楽天は4月23日、日本ハム2回戦の九回にランディ・ルイーズ内野手が
1号サヨナラソロ本塁打を左中間席にたたきこみ、4-3で勝利。
不振を極めた助っ人の一発で、連敗を3で止めた。


(パ・リーグ、楽天4x-3日本ハム、
2回戦、1勝1敗、23日、ほっともっと神戸)

本拠地開幕(29日、オリックス戦)まで残り3試合。
1つでも稼いで、仙台へと凱旋する。

苦り切っていた闘将の顔が、一瞬にして崩れた。
延長濃厚かと思われた九回。
ルイーズの放った会心のアーチが、左中間席に突き刺さる。

「あそこまでいくと思わなかった。
やっぱり外国人、パワーがある。入ってホッとしたよ」

ジリジリする展開だった。
打線が二回までに3点を奪いながら、八木を崩せない。
対する先発の永井も、四回二死満塁で
中田の同点タイムリーを許すなど粘り切れない。

土壇場で勝負を決めたルイーズだが、
今季はここまで打率1割を下回る極度の不振。
ストッキングをひざ下まで見せるスタイルに変えるなど、
きっかけを探していた。

連敗は3でストップ。それでも試合後の指揮官は
「攻撃陣にスタミナがない。八木は五回までにつぶさんと。
永井も二死から抑えれば勝ち星が転がってくるんや」
とふがいない戦いを一喝した。

貯金を再び「1」とし、3位に浮上。
「オレは貯金して仙台に帰るぞ」と星野監督。
29日の本拠地開幕戦まで、連勝街道を突き進む。

一時の勢いがなくなったと思っていましたが
なんのなんの・・・。


ちょうどピッタリの動画かな・・・Hey和(Live ver.)ゆず
君のために何が出来るのだろう?

福原愛「3種目でメダル」と気合い十分 卓球の世界選手権

記者会見でポーズをとる卓球日本代表の
平野早矢香、石川佳純、福原愛、水谷隼、丹羽孝希ら
http://www.sanspo.com/sports/photos/110422/spj1104221835000-p1.htm
日本代表のウエアの胸には東日本大震災の被災地支援などの
意味を込めて「WASURENAI 3・11」のメッセージが入れられた。

卓球の世界選手権個人戦(5月8~15日・ロッテルダム=オランダ)
に出場する日本代表が4月22日、東京都内で記者会見し、
女子で5度目出場の福原愛はシングルス、ダブルス、混合ダブルスに
出場登録して「3種目すべてでメダルを狙いたい」と宣言した。

来年のロンドン五輪シングルスで最大2人の出場権は世界選手権後の
世界ランキングで決まるため、
女子は現在7位の福原愛、11位の石川佳純、17位の平野早矢香の争い。

2年前のシングルスで8強入りした全日本選手権覇者の石川は
「挑戦者の気持ちを忘れずに戦いたい」と話した。

男子シングルスで日本選手としては32年ぶりのメダル獲得を
狙う水谷隼は「メダルのチャンスはある。勝って五輪につなげたい」
と意気込んでいます。

最高のプレーをすることが卓球愛好家の卓球上達にも好影響を与え、
その積み重ねがロンドンにつなると思います。
頑張れニッポン!

2011年4月21日木曜日

2014年仁川アジア大会、ソフトボール実施は結論出ず

ソフトボール大ピンチ!?
アジア大会でも開催ならず・・・なら、かなり競技力
が落ちますね。

アジア・オリンピック評議会(OCA)は4月12日、
韓国の仁川で2014年仁川アジア大会の調整委員会を開き、
実施競技から除外対象となった女子のソフトボールについて、
男子の野球と合わせた1競技として加えることを提案した。

しかし大会組織委員会は態度を保留し、結論は出なかった。

日本などが求めるソフトボールの実施は、
1月のOCA理事会で継続審議となっていた。
調整委員長を務める日本オリンピック委員会(JOC)の
竹田恒和会長は
「(野球とソフトで)施設を共有し、コストもかからない。
前向きに検討してもらえると思う」とコメント。

組織委の金中宰国際事務次長は
「3週間以内に回答したい」と述べています。


何を隠そう、この私もソフトボール愛好家なので
何とか開催してほしいものです。
最近はソフトボールピッチング上達に励んでます。^^;

2011年4月18日月曜日

勝った! 新人一番乗り 日本ハム斎藤佑樹

持ってる男はやっぱり違う。
って、もう聞き飽きましたね。^^;

日本ハムのドラフト1位・斎藤佑樹投手が4月17日、
ロッテ3回戦(札幌ドーム)でプロ初先発。
5回6安打4失点(自責点1)ながら、
12球団の新人の中で勝ち投手一番乗りを果たした。

一回に先制2ランを浴びる不安な立ち上がりだったが、
直後に打線が逆転。
その後は粘り強く投げ、8-4の勝利でした。

「この1勝は野球を始めたころからの夢。
それをかなえることができてうれしいです」
と謙虚に話していますが、

まだまだ、こんなものではないでしょう。

一回、詰めかけた3万7863人の大歓声を受け、
1番岡田へプロ第1球を投じた。
この日の最速となる144キロの直球でストライクをとると、
最後はフォークで初三振を奪った。
一死一塁から井口に直球を右中間席へ運ばれ2失点。

2度目のピンチは五回に訪れた。
二死から失策と3連打で2点差に迫られ、なお二死一、二塁。
勝利投手の権利を手にするまであと一死の踏ん張りどころだ。
打席には4番の金泰均。カウント2-2からの5球目、
武器のカットボールで三ゴロに打ち取った。

「スライダーとカットボールがよかった。
その日、その日でどの球がいいかを見つけることが大事で、
きょうはそれができました」

5回6安打4失点(自責点1)の内容には納得が
いかないものの、
プロ初勝利は今年の新人で一番乗りとなった。

野球選手を続けていくため、この1勝で満足しないで、
もっと高みを目指していきます。

斎藤投手のプロ野球人生は、ようやく始まったばかり。。。


(パ・リーグ、日本ハム8-4ロッテ、
3回戦、日本ハム2勝1敗、17日、札幌ドーム)

2011年4月17日日曜日

J1鹿島、試合前に国立で朝市!主将の小笠原選手が発案

故郷・岩手の復興支援活動に力を注いだ小笠原は、
ホームタウンの茨城5市のためにも『朝市』で支援する。

被災地チームを引っ張る小笠原選手!
http://www.sanspo.com/soccer/photos/110417/sca1104170506004-p1.htm

J1鹿島が、福島第1原発事故の風評被害に苦しむ
ホームタウンの農家支援に立ち上がった。
MF小笠原満男主将の発案でJリーグ再開となる横浜M戦(23日、国立)
の試合前に、隣接する明治公園(新宿区、渋谷区)で地元特産の野菜を
販売する『朝市』を開くことが4月16日、分かった。

震災に加え、風評被害にも苦しむ地元農家のために、
J1鹿島が立ちあがった。

『朝市』を開催するのは、J再開の4月23日、横浜M戦の試合前。
修復工事のため閉鎖中のカシマスタジアムの代替会場、
国立競技場に隣接する明治公園で、午前9時からキックオフまで約5時間、
ホームタウンの茨城5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)で
採れた野菜を販売する。

当日は鹿嶋市のキャベツや、鉾田市のメロンなど
多岐にわたる特産品が並ぶ予定とか。。。

10トントラックで運び入れ、テント8張り分で売る大規模なものだ。
これまでスタジアムで特産物を販売するなどの取り組みはあったが、
Jクラブが風評被害対策支援の即売会を開催するのは初の試みとなる。

「形になったことはうれしい。こういうときだからこそ、
茨城のものを選んで買ってあげてほしい」
と力を込めるのは主将の小笠原だ。

岩手出身の小笠原は避難所訪問や物資輸送など、東北への支援活動を
率先して行ってきたが、一方で原発事故以降、風評被害から
販売数が約4割減と苦しむ農家の力になりたいと事業担当者と
話し合いを続けてきた。

支援はさらに広がる。震災直後から支援を申し出ていたJ1磐田は、
鹿島を通じて茨城県産野菜と福島県産野菜をそれぞれ50万円分ずつ
買い取り、29日の広島戦(ヤマハ)の来場者にプレゼントする予定。

90年代後半からし烈なタイトル争いを繰り広げてきた
ライバルチームに、
「輪が広がっていくのはうれしい」と小笠原。

安全性PRに一役買い、チーム一丸、
風評被害に泣く地元農家を“アシスト”する。

J1鹿島から目がはなせない・・・。

2011年4月14日木曜日

27位でベストアマ 松山英樹「軽かったけど、重さがあった」2011マスターズ

『軽かったけど、重さがあった』
松山英樹(男子ゴルフ)

「最終ホールのグリーン ゾクゾクした」
男子ゴルフの今季メジャー初戦、
マスターズ・トーナメントは4月10日、
米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGCで
最終ラウンドを行い、
18位からスタートした東北福祉大のアマチュア、
松山英樹は74で通算1アンダー、287で27位と
健闘し、ベストアマを獲得。

http://www.sanspo.com/golf/news/110412/gla1104120505004-n1.htm
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/04/11/kiji/K20110411000605990.html

男子ゴルフの今季メジャー初戦「マスターズ」に
日本人アマチュアとして初めて出場し、
27位でベストアマを獲得した松山英樹が4月13日、帰国。

被災地からの出場者としても注目されたなかで大健闘。
国内ツアーからも出場要請が殺到しているが、
4月中は大学の寮がある仙台市内に戻ってボランティア活動に
専念することを明言。クラブを置いて、「牛乳配達」で汗を流す。

夢舞台で手にした達成感が、感謝にかわる。
「マスターズ」でベストアマを獲得した松山は日焼けした顔で、
真っ先に東日本大震災による被災者を思いやった。

「(被災地の)みなさんの応援を受けて出場し、
成績(27位)が出せてよかった。
ここまでできると思っていなかった…」。
そして、自らのプレーを「200点」と自己採点し、胸を張った。

ベストアマとして、日本人選手初のオーガスタの表彰式に出席。
ジャック・ニクラウス(60年)、
フィル・ミケルソン(91年)、
タイガー・ウッズ(95年)らスーパースターも、
アマ時代に獲得した名誉の銀杯を授与され、

「(銀杯は)軽かったけど、重さがあった」と実感。

オーガスタに集まったパトロンは、被災地からやってきた松山に
ひときわ大きなスタンディングオベーションでたたえてくれた。

「世界中の人から被災地への大きな関心を感じた」。
耳に残る貴重な体験が、使命感にかわる。
国内ツアーから出場要請が殺到しているが、
「いまは仙台でボランティア活動をしたいんです」
と言い切る。

そこで15日には仙台市に戻り、
16日から避難所への「牛乳配達」を計画しているのだ。

阿部靖彦ゴルフ部監督が、流通関連に勤務する大学OBと
連携して牛乳を調達。ゴルフ部の仲間44人と、
近隣の被災地へ配って歩くという。手から手へ。

顔をみながら言葉を添えて…。牛乳配達なら、それができる。
同監督も
「学生として、いまはゴルフよりも大事なことがある」
と指導。現時点では次戦の予定は決まっておらず、
4月中はボランティア活動に専念する。

松山くんは
本当にマスターズに出場してよかった。
来年もまた出場したい。
と地に足をつけ、新たな一歩を踏み出しました。

2011年4月13日水曜日

横浜のDF中沢 故郷・三郷市の避難所をサプライズ訪問

横浜のDF中沢選手が故郷の埼玉県三郷市で
東日本大震災被災者の支援活動を行った。

原発事故の避難指示区域の福島県広野町から
約250人が避難している端沼市民センターを
事前告知なしでサプライズ訪問。
約30人の子供たちと鬼ごっこやサッカーで汗をかいた。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/04/11/gazo/G20110411000605510.html

さらに自らも愛飲するアサイーの栄養ドリンクを
全員に配った。練習生から日本代表まで努力で
はい上がった苦労人だが
「今まではいろんな人に助けられた。
これからは僕が逆に助けないと。
誰もまだ行っていない被災地にも支援に行きたい」
と話しています。

こういったサプライズ訪問はいいですね。
子供たちも喜んだでしょう!

2011年4月11日月曜日

荒川静香、高橋大輔、羽生結弦らリンクから復興メッセージ

東日本大震災の復興支援を目的としたフィギュアスケートの
慈善演技会が4月9日、神戸市のポートアイランドスポーツセンター
で行われ、宮城・東北高出身でトリノ冬季五輪金メダルの荒川静香さんや
世界選手権に出場する高橋大輔さんらが華麗な演技を披露しました。

荒川さん、トリノ五輪と同じ「トゥーランドット」の曲に乗せ、
得意のイナバウアーなどで観客を沸かせた。

東北高の羽生結弦くんは仙台のリンクで練習中に被災し、
避難所で4日間過ごしたといいます。

「東日本も被災した神戸のように、
しっかり明るく温かい街になれればいい」
と、、、大きな拍手の中で何度も深々とお辞儀した。

慈善演技会は、兵庫県スケート連盟が
「復興の街、神戸から勇気を」として主催。

会場では選手が募金を呼び掛け、オークションも開催。
入場料などの収益金はすべて義援金として寄付されるそうです。


それにしても
荒川さん、変わらずお美しいですね。^^;
http://www.sanspo.com/sports/photos/110409/spm1104092019000-p1.htm

2011年4月10日日曜日

メッセージ巻き力走! いわき出身の柏原竜二

「負けるな東北!」と書かれた布を腰に巻き
力走する東洋大の柏原竜二選手。
http://www.sanspo.com/sports/photos/110409/spg1104092233001-p1.htm

陸上の選抜中・長距離大会は4月9日、
男子5000メートルを行い、
箱根駅伝の山上り5区で3年連続区間賞を獲得した
柏原竜二は17位だった。

柏原は東日本大震災の被害を受けた福島県いわき市出身だ。
自らの発案で「負けるな東北!」のメッセージを入れた
特注の布を腰に巻いて力走した。

地元に残る家族や友人は無事だったものの、
震災の影響で中断したチームの練習が3月23日に再開されても
「まだ不安だった」と明かした。
万全ではない中でのレースで17位。

「自分の走りを見て一人でも元気が出たと言ってほしい」
と気丈に話し、今夏の世界選手権は1万メートルで
代表入りを目指すことも明言しています。

2011年4月9日土曜日

渡瀬あゆみ決意新たに!ジャンプ女子五輪採用

いよいよジャンプ女子とフィギュアスケート団体が
オリンピック種目採用になりました。
どちらもメダル候補ですから楽しみですね。

国際オリンピック委員会(IOC)は4月6日、
ロンドンで理事会を開き、2014年ソチ冬季五輪で
スキーのジャンプ女子やフィギュアスケート団体などを
新種目として採用することを決めた。

ジャンプ女子の採用は過去の冬季五輪でも検討されてきた。
10年以上も前から国際大会に出場してきた26歳の渡瀬あゆみは
「やっと認めてもらえたという、うれしさでいっぱい。
夢だった五輪が、最大の目標に変わった」
と言葉に実感を込めた。
http://www.sanspo.com/sports/photos/110406/spn1104062255000-p1.htm

世界選手権代表で、3月の国際蔵王大会を制した16歳の
伊藤有希(北海道・下川商高)も
「五輪出場は小さいころからの夢だった。
スピードとパワーがつくような
トレーニングをして2014年に備えたい」
と3年後を見据える。

日本チームにとっては、
まさにビッグチャンスが訪れました。
楽しみですね。

2011年4月6日水曜日

「復興につなげたい」荒川静香さんが避難所訪問

2006年トリノ冬季五輪フィギュアスケート
女子金メダリストで、
宮城・東北高出身の荒川静香さんが4月6日、
仙台市若林区の避難所を訪問して

「自分が育った仙台、東北に活気が戻るような
イベントをしたりして復興につなげたい」

と、継続的に支援する考えを示しています。

お年寄りと握手したり、子どもに頼まれたサインをしながら
「笑顔でね。皆さんが頑張れるようにお手伝いします」
と声をかけ、お菓子やアイマスクを差し入れた。

避難所で生活する安達董さんは
「遠い存在の人だけど、地元を忘れてないんだ。
うれしいし、力になる」と笑顔。

徐々に復興への道を歩んでいる。
といった感じですね。

2011年4月5日火曜日

東北高出身・阿部初V!故郷に元気を 柔道女子

柔道・全日本選抜体重別選手権最終日
(4月3日、福岡国際センター)
8月の世界選手権(パリ)の代表選考会を兼ね、
女子63キロ級は東日本大震災の被災地にある
宮城・東北高出身の阿部香菜が初優勝しました。
http://www.sanspo.com/sports/photos/110404/gsi1104040503002-p3.htm

故郷に元気を送り、代表権を獲得。。。

試合は世界女王・上野順恵が出場を見合わせ、事実上、
世界選手権へ向けた残り1枠をかけた決勝戦。
谷本育美から指導2つを引き出し、大会初制覇を飾ったのです。

東日本大震災で被災した宮城県出身の阿部は、
目を赤く腫らしながら
「家族も応援にくるはずだったけど、家が大変なんで…。
東北高の後輩たちの励ましにもなれば…」
と言葉を詰まらせた。

家族が住む宮城・石巻市の実家は、
沿岸部から200メートル付近にあるという。
3月11日の震災直後は、音信が取れなくなった。
テレビ映像で見る変わり果てた故郷に「これが地元なのか」
と絶句した。

無事を祈り続けた5日後、ようやく連絡がとれた。
住居は1階部分が浸水し、壊滅状態となったが、
祖父、両親、2人の姉、妹の家族全員の無事が確認できた。

避難所で暮らしていた父・進さんと母・みや子さんの
会場での声援は聞くことはかなわなかったものの、
「家族も頑張っているから、お前も頑張れ!」
電話で聞いた声が、胸の中で何度も響いた。

8月、パリで開かれる大舞台。
畳の上から発信する故郷への激励は、
まだまだ終わらない。

2011年4月3日日曜日

東海大相模、春11年ぶり2度目の全国制覇! センバツ高校野球

東海大相模やりましたね。
戦力も充実して試合運びもよかったですね。

第83回選抜高校野球大会は4月3日、
兵庫県西宮市の甲子園球場で決勝戦を行い、
東海大相模(神奈川)が6―1で九州国際大付(福岡)を下し、
初制覇した2000年以来11年ぶり2度目の優勝。

夏を含めると3度目の甲子園制覇で、
神奈川勢の選抜優勝は2006年の横浜以来。

東海大相模は3回1死三塁から3番・田中が
右中間へ先制のタイムリー二塁打。

4番・佐藤も三遊間を破る左前適時打で続き、2点を先行した。
続く4回には内野安打で出た走者を犠打の間に三塁に進め、
1番・渡辺の右中間を破る適時三塁打で1点を追加。

5回無死一塁からは、4番・佐藤が低めのストレートを
左中間スタンドに叩き込む2ランで5―0とし、
7回には5番・菅野の右中間スタンドへの大会第16号ソロで
リードを広げる。

投げては先発した長田は、毎回のように得点圏に走者を背負いつつも、
味方の好守、粘りの投球で5回無失点。
六回からはエース近藤がマウンドに上がり、九回裏に1点を返されたが、
緩急をつける巧い投球で強打の九州国際大付打線を封じた。

破壊力満点の打線は驚異ですね。
東海大相模の「アグレッシブ・ベースボール」が
大舞台で結実した瞬間でした。

2011年4月2日土曜日

東北高校ナイン、ボランティア再開、浸水地区で民家片付け

被災しながらセンバツ大会に出場した
東北高校ナインが4月1日、
ボランティア活動を再開したそうです。

多賀城市のボランティアセンターから要請を受け、
津波の被害で多くの建物が浸水した桜木、大代地区へ。

部員56人が5、6人ずつ9班に分かれ、
床上浸水した民家の片付けなどを行った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110402-00000028-sph-base.view-000

大会の直前までボランティア活動を行った影響もあり、
センバツでは大垣日大に大敗。

3月29日に地元へ戻って以降は
初となる活動は6時間に及んだ。

「甲子園では被災者のためにも一生懸命プレーしたが、
地元に戻ったからには野球をやっている場合じゃない。
力はあるので役に立ちたい」
と、小川裕人副主将(3年)。

手助けを受けた桜木地区の主婦・浅野征子さんは
「重い物を外に運んでくれたり、
本当に大活躍だった。
前からファンだったが、
これからますます応援していきたい」
と話していた。

ナインは当面の間、
県内でボランティア活動を行う予定のようです。

そうですか。言葉がありませんね。
ぜひ夏の甲子園での活躍を願っています。

2011年4月1日金曜日

J選抜・小笠原が関口が梁が被災地に勇気!「東北人魂」動画付き

サッカー復興支援チャリティーマッチ
(3月29日、日本代表2-1Jリーグ選抜、大阪・長居)
踏み出す一歩に、
1本のパスに、小笠原は万感の思いを込め。。。

「東北人魂」一番目立ってました。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/03/30/gazo/G20110330000529560.html
http://www.sanspo.com/soccer/photos/110329/scc1103292206018-p21.htm



「プレーしている間、そればっかり思っていましたね。
1人1人の顔が浮かんできました」

まぶたの裏にあったのは、岩手で目の当たりにした光景だった。
鹿島が活動休止になった翌日の17日から
自家用車に援助物資を積み、日本海周りで向かった。

ガレキの海になった故郷。

高校時代を過ごした大船渡市や
夫人の出身地・陸前高田市の避難所で、
懸命に生きる被災者と、救助に当たる人々の必死な姿を見て
みんな歯を食いしばって生きていた。
と、深い思いを背負ってピッチに立った。

震災が起きた11日以降は、2週間以上練習ができなかった。
右ひざ痛も抱え、本来の姿ではなかったが、
「みんなが助けてくれた。
サッカーも助け合いなんだと思いました」と。。。

宿舎やスタジアムでは、
J選抜チームの選手が小笠原の話に耳を傾けた。
長期的支援と東北サッカーの復興を訴える声に
カズや中村俊、中沢らが賛同し選手会や協会も動きだした。

J1仙台所属のFW梁、MF関口も躍動した。
後半30分には
「被災した宮城県民の代表としてプレーした」という関口が、
ゴール右にわずかにそれるシュートでスタジアムを沸かせた。

攻守の起点となった梁は「宮城が早く元に戻れるように」
と前を向き、
この日から練習を再開したチームと本拠地に思いを向けた。

小笠原の発案から選手会も被災地での慈善試合開催を
目指している。故郷への思い、復興への祈りは、

サッカーを通じて確かな形になり始めた。
コストやリソース面でのメリット